2016年4月24日日曜日

野良猫を増やしかねないメディア


日本のメディア──特に出版社は、しばしば野良猫のことを、屋外で暮らす、自由で・楽しい・可愛い動物というように紹介する。雑誌が猫特集を組むときには、次のようなタイトルの記事を書く。『東京のしあわせな猫町』『猫たちの楽園島』『楽しい外猫めぐり』。また、数多くの写真集によって、幸福な野良猫というイメージが大量に流布される。

ある猫写真展に行ったとき、ポスターとチラシで使用されていた写真は、飛んでいる猫だった。その写真は、一見すると素晴らしい。尻尾は垂直に立ち、背景は青空である。しかし僕は、猫の顔に違和感を覚えた。目に生気がないのだ。この猫は楽しい気分で飛んでいるのだろうか、と僕は不安になった。けれど、人々は大ざっぱな印象に笑むのである。

猫を探して町を歩き、幸福そうな猫に出会い、撮影し、その写真を猫好きな人たちとシェアするのは楽しい。しかし僕は、それが段々と苦痛になった。幸福な猫よりも、気の毒な猫のほうが明らかに多いからである。撮影した10匹のうち見映えの悪い7匹をお蔵入りにして、残りの3匹を写真共有サイトにアップロードする、というような行為は、野良猫たち全体を裏切っているような気がした。僕は、彼らを代弁するような写真が撮れないかを考えるようになった。

六年間、野良猫の撮影をして、僕はひとつの結論にたどり着いた。それは、自分でも思いもよらぬものだった。猫は路上にいるべきではない、というのがそれである。猫はすべて、人の家の中でぬくぬくしているべき生き物なのである。僕はこのことを、街路で拾った老猫から教わった。

野良猫や小鳥に餌やりをする人の中には、人間と動物が共生する理想像を求めている人がいる。しかし、これは間違っている。街は、動物を排する様式で作られているからだ。アスファルトとコンクリートは、動物の糞尿を分解しない。猫は、人間が選別・育種した非野生動物で、その脳は、体が成熟しても幼児のままである。路上暮らしをしている幼児、というのが野良猫の実情なのだ。

日本の自治体は、四十年以上にわたり、毎年何万という野良猫を殺処分してこなければならなかった。野良猫を遠目に眺めて、手放しに賛美してきた風潮の裏には、このような事実がある。その風潮を作るのに、メディアは今も一役買っている。

※この野良猫が下降している写真は、彼らの生き様の暗喩として載せる。
 

2013年2月10日 東京都内にて撮影 ©Naoto Shinkai